高山文化フォーラムとは?

 高山の人たちが、どんな文化を欲し、どんな文化を身につけているかを、広く市民の皆さんに知って頂く機会をつくり、提供しようとする場です。
 この一年間に何を学び、何を生み出したか発表し、自ら励み、自ら反省し、その努力の跡を一人でも多くの人たちに体感してもらい、心豊かな生活を目指そうとする場です。
 今までとはちょっと違うと言っていただける工夫を重ねた結果を十分楽しんでください。

開催日時・団体

令和6年度の高山文化フォーラムについては、次をご覧ください。


参加をお申込みされる団体で、企画書をデータで作成されたい方は、以下のリンクよりダウンロードしてご利用ください。

展示団体で展示室の図面が必要な方は、以下よりダウンロードしてください。

これまでの文化フォーラム

高山文化フォーラムの沿革

 高山市文化協会が発足した昭和24年5月1日~3日に第1回文化祭が開催されました。
 当時の日下部市長は、プログラムの中で「……敗戦の苦杯は余りにも苦痛であるが、高山の土に育ち、高山の水を吸収して成長しつつある文化の萌芽を健全に育成せしめ、将来美しい花の満開とその結実をもって、いささか祖国の復興に貢献し、進んで広く世界の平和達成に寄与せんとする……」とその決意を述べています。
 内容は、謡、琴、尺八、日舞、洋楽、演劇などの芸能のほか、美術、写真、華道、古美術などの展示会でした。
 会場として、東小、南小、城山公民館、大雄寺、国分寺、山桜神社、商工会議所、高山郵便局などが使われたと記録されています。
 以来、喜多座、高山会館(映画館)、飛騨体育館、長瀬会館(旅館)などて開催されてきました。
 昭和57年に念願の高山市民文化会館が建設され、約70の団体が参加し、11月1日から12月4日まで1ヵ月以上にわたって記念展、記念公演などか盛大に催されました。
 平成9年に名称を「高山文化フォーラム」と改め、芸能(舞台公演)及び、文芸、美術、生活文化(展示)の4部門とし、テーマを決め、表彰(賞金付)する制度を設けました。
 この年の参加は、芸能11団体、展示24団体、個人出品7点。受賞は、日本吟道学院暁友会飛騨本部、飛騨俳句会、池坊斐太支部、全日写連飛騨支部でした。
 テーマについては、平成10年は「あお」、平成11年は県民文化祭参加のためテーマ無し、平成12年は「とき」。以後、くさ、はる、まち、さち、歩み、笑、月、火(灯)、生と続いています。
  平成25年度より、参加団体の審査を取りやめました。