文学散歩道とは?
「孤独なるがゆえに、過度に熟成した文化」(司馬遼太郎)に触れんものと、近世以降、多くの文人墨客や文学者たちが、好んで飛騨を訪れています。
この地を舞台とした多くの文学作品は、飛騨の自然と風土を背景に、色鮮やかに展開されています。
高山市の西郊外の松倉山の麓に、観光施設「飛騨民俗村」があります。
下の「飛騨民俗館」と上の「飛騨の里」とは、約700m離れており、車道と松倉山の裾の小径との2本で結ばれています。
その山裾の小径が昭和49年に作られた「文学散歩道」で、飛騨に縁のある文学者たちの文学碑を、文化協会及び飛騨俳句会によって建立されています。
2011/08/23 New!
平成23年8月、上野町に設置されていた「福田夕咲」の歌碑を、文学散歩道に移設いたしました。
文学碑一覧
碑銘 | 建立期日 | 碑文 |
瀧井孝作 | 昭和50年4月4日 | 「無限抱擁」 |
江馬 修 | 昭和50年11月3日 | 歴史の舞台からすっかり置き去りにされ、日本でもまれな、奥深い山国の真ん中にすてられた孤児のように、三百年も知られない、ひそかな存在を続けてきた城下町の高山は、折から暗いあついモヤと雪に蔽われて、音もなく、深い眠りの中にあった。(「山の民」より) |
江夏美好 | 昭和58年8月2日 | 飛騨は「下々の国」である。大化の改新(西暦六四六年)のおり国制を「大、上、中、下」の四等に定められたが、飛騨は山また山の辺鄙ゆえ、下国のなかでも「下々の国」と呼ばれたという。(「下々の女」より) |
早船ちよ | 平成元年12月10日 | 峠に立つと見えなかった風景がひらけてくる。川ぞいの村、森、遠い町…そこへいく ひとすじの峠道に立つと 見えなかった山やまが あらわれる そのさきにもそして、未知の世界が呼びかける 峠を越えておいで と。(小説「峠」の序詞より) |
井上 靖 | 平成2年5月27日 | 人間が造った。古い歴史と文化の町を、自然が造った 大山脈、小山脈が取り巻いている。冬になると山脈という山脈は雪に覆われ、町は隅々まで、飛騨の貌を持ち優しい人情に鏤め(ちりばめ)られる。日本列島のほぼ中央に位置し、フンザ、キルギットと並ぶ 世界の山の町、高山。登山家の背の美しく見える、静かな山の町、高山。(井上靖) |
小峯大羽 | 平成8年9月22日 | 夏草に一路あり 登山口と知る 文学散歩道から少し離れた東照宮の境内には、飛騨の近代俳句開眼に寄与した小峯大羽の句碑も付設されている。 |
田中澄江 | 平成9年3月30日 | 飛騨の高山に人々は何を求めてゆくのか 木でつくられた町の姿のよさ それが古びてなお存在する美しさ そこには日本の遠い昔からの伝統建築様式があるだけでなく そこに住みついた人間の心の歴史もまた積み重なっている 平成9年1997年1月元旦 田中澄江 八十八歳 |
小鳥幸男 | 平成12年10月28日 | 山が来て 座り直せる 土用かな |
福田夕咲 | 平成23年8月移設 | 伊波野なる 沼の水乃面に 白くもの 宇津良布みれば そろそろさひ志起 |