第11回 近代文学館企画展 郷土の文学碑展~城山編~ 平成21年10月31日~11月1日
[目次] 先頭へ戻る 城山 文学碑位置図 永瀬彰翁 夕咲碑 松田常憲碑 山田秋籟碑 小夢碑 こだいじん歌碑 白雲山桜花碑 岡田禾木碑 ライオンズクラブ記念句碑
垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
明治三十七年(一九〇四)十月十五日 門弟が建立 護国神社境内
【永瀬彰(ながせあきら)】 |
生年不祥~明治21年(1888)4月6日 |
書家。幼名を熊太郎。静園、由郎と称する。岩佐一亭に入木道を学ぶ。寺子屋を開いて多くの門弟を指導した。 |
【立田万年(たったまんねん)】 |
明治1年(1868)12月18日~昭和15年(1940)5月12日 |
石工の名人・神職。河合村(飛騨市)角川生れ。旧姓は湯畑。号は湯万年。初名を梅之助。重義とも名乗る。坂上村の立田家を継ぐ。二二歳で上京して彫刻師の岡田広次に入門し、石材彫刻の皆伝を受け帰郷。養老公園碑、七卿西竄記念碑、和宮和歌碑は三大傑作とされる。手掛けたものは八十を超え、飛騨においては皇威輝八鉱岩碑、田島春園歌碑など六十に近い。 【飛騨人物事典】 |
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
昭和23年(1948)4月63歳で没すると、飛騨短歌会は建碑にとりかかり、11月には完成した。城山月見平
【福田夕咲(ふくだゆうさく)】 |
明治19年(1886)3月12日~昭和23年(1948)4月26日 |
俳人。本名有作。斐太中学、早稲田大学文学部卒。学生時代に野口雨情、相馬御風らと「自由詩社」を創設。明治42年(1909)読売新聞社に入社し北原白秋、若山牧水らと詩壇の新運動に参加。 家業を継ぐため大正3年(1914)帰郷、瀧井孝作らと「ツチグモ」の創刊(大正3)。「飛騨新聞」の創刊(昭和22(1947))を始め山百合詩社、飛騨山刀倶楽部、飛騨短歌会などを育てた。詩集「春の夢」、歌集「山花一束」、「山ずと」など。飛騨の文化の発展に大きな功績を残した。 |
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昭和35年(1960)夏 同窓同志が追善のため建立。城山二の丸公園
【松田常憲(まつだつねのり)】 |
明治28年(1895)12月1日~昭和33年(1958)3月13日 |
歌人。福岡県甘木市出身。國學院大學師範部国語漢文科卒。中学生のころから歌を好み、大正6年(1917)尾上柴舟に師事。尾上の後を継いで歌誌「水甕」を主宰。大正7(1918)~10年(1921)斐太中学で教諭を務めた。歌集「ひこばえ」「好日」「三経集」ほか。 |
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
明治29年(1896)5月建立。城山稲荷参道
(碑文全文)
【山田秋籟(やまだしゅうらい)】 |
文政5年(1822)1月5日~明治3年(1870)10月8日 |
私塾教師。本姓は船津町の広田で、高山の医師・山田泰安の養子。名は葆光。字は敏民。号は蠖斎。京都で梁川星巌に学ぶ。高山で塾を開いて句読書算を指導。「康煕字典」をすべて記憶したといわれる。 |
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昭和三十三年(一九五八)建立。城山稲荷参道
【西本小夢(にしもとしょうむ)】 |
慶応3年(1867)10月26日~昭和4年(1929)2月24日 |
医師・俳人。古川生れ。本姓は熊崎で高山二之町の西本治郎兵衛の養子。名は達郎。号は雲心庵小夢。金沢甲種医学校卒。明治26年(1893)頃高山で開業。雲橋社十一世で花蔭会の宗匠。句集「みちの落葉」ほか。 |
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
昭和36年(1961)建立 荘川会創立三十周年記念碑。城山照蓮寺境内
荘川村、白川村で古くから伝わる民謡の歌詞。今は「古大尽」と書くが、「子大事」が正しいという説もある。発祥は長享・延徳年間(1487~1491)ころ。 |
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天保3年(1832) 貝塚素牛追悼のため第十九代郡代大井帯刀永昌とその元締菊田秋宜等が建立。城山中佐平手前
【貝塚素牛(かいづかそぎゅう)(文次右衛門(ぶんじうえもん))】 |
生年不祥~文化7年(1810)8月29日 |
俳人・飛騨郡代の元締手代。名は典寛。号は素牛。文化11年(1814)に郡代の田口五郎左衛門に従って着任。高山城址(城山)が荒廃しているのを嘆き、有志と桜を植え観花場を開く。後の郡代・大井永昌が貝塚の句碑を白雲山(城山)に建設する。 |
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
昭和33年(1958)晩春建立。城山遊歩道通称大手門手前
【岡田禾木(おかだかぼく)】 |
明治5年(1872)~昭和20年(1945)5月10日 |
俳人・荒物商。通称は肥吉。号を冨士屋。花蔭会に属し後に茶仏庵とともに山桷会を興す。句集「燕子花」など。 |
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
昭和43年(1968) 高山ライオンズクラブ国際認証十周年 明治百年記念建立
城山遊歩道通称大手門先
【蘭亭千歩(らんていせんぽ)(加藤専一(かとうせんいち))】 |
明治27年(1894)3月13日~昭和56年(1981)7月26日 |
医師・俳人・高山市名誉市民。幼時に叔父、加藤規矩男の養子となる。通称は加藤専一。雲橋社十五世で、昭和15年(1940)に加藤家の祖である歩簫の資料を「蘭亭遺稿」として発刊。22年(1947)の飛騨俳句会結成に尽力した。著書「纏の韻」、遺句集「枯尾花」など。 |
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
全国の子弟による追悼記念。城山遊歩道通称大手門先
【垣内松三(かいとうまつぞう)】 |
明治11年(1878)1月11日~昭和27年(1952)8月25日 |
国語学者・国語教育学者。号は松実。大正8年(1919)から文部省の嘱託としてドイツ、フランス、イギリスに留学し女子職業教育、教科書調査などを行なう。大正11年(1922)に著した「国語の力」は名著とされ、国語教育界に大きな反響を呼んだ。文学史、国文学概論、文学研究法を講じ多くの後進を養成した。雑誌「読方と綴方」、「国文教育」「コトバ」などを創刊。著書「国語の力」「形象論序説」「国語教育科学概説」「国文学体系」など。論文多数。 |
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
昭和四十三年(一九六八)五月高山市民合唱団が建立。如意ケ丘
【吉村比呂詩(よしむらひろし)】 |
明治41年(1908)8月1日~昭和42年(1967)1月10日 |
詩人。本名は広吉。昭和2年(1927)教員として勤務の傍ら、詩作に専念。NHKからラジオ歌謡児童向け連続放送劇が放送され、その中の「山のしずかな水音」は全国ヒットとなり、詩壇の地位を確立した。全国各地の校歌を残した。昭和22年(1947)創刊の「飛騨新聞」の編集発起人となる。詩集「白い人形」「雪線に描く」など。 |
【山下笛朗(やましたてきろう)】 |
明治36年(1903)9月23日~昭和48年(1973)8月1日 |
高等学校音楽教師、高山市文化協会会長。本名は佐助。幼名を尚次。昭和6年(1931)から各高等学校で音楽教師を務めた。「斐中行進曲」「飛騨山娘」ほか多数作曲。高山音楽連盟会長・高山演劇集団会長等を歴任。道ずれ吟社と劇団路踏志座の結成に尽力。音楽にとどまらず飛騨の文化活動の中心的存在。「福田夕咲全集」を発刊。 |
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
大正4年(1915) 五松庵社中、花蔭会月次二百回記念に建立。神明町正雲寺墓地
【無名庵(むみょうあん)(本廟(ほんびょう))露城(ろじょう)】 |
昭和3年(1928)5月8日没 |
俳人。姫路の人。本名は瀬川正夫。号は俳禅窟。芭蕉翁は滋賀県大津の義仲寺にある庵「無名庵」を好み、芭蕉の死後その亡骸は木曽義仲の墓の隣に葬られている。露城は明治40年(1907)4月に無名庵十五世を継ぎ、正風会を創設して芭蕉の顕彰につとめた。 |
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垣内松三碑 飛騨山娘詩碑 芭蕉古池碑 菊田丈子碑 三声塚 平田長等句碑 花蔭会句碑 薦塚 館柳湾詩碑
昭和4年(1929)5月建立。神明町正雲寺墓地
【菊田丈(きくたじょう)】 |
生年不祥~大正11年(1922)6月 |
琴の師匠。熱田神宮の菊田黒太夫の娘。永田とも子の斡旋で高山三之町にて筝曲を指導。飛騨地方の地唄、三曲を復興する。 |
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文政3年(1820)初秋建立 大隆寺墓地
【野口午有(のぐちごゆう)】 |
生年不祥~寛延4年(1951)2月22日 |
俳人・御役所御出入医師。富山の人。補透主人・養安と称す。高山で開業。江戸から高山に移住していた俳人の井田至芳と親交深く「雲橋庵」四世宗匠を継ぐ。句集「美津気之記(みずげしき)」を編集。 |
【野口兎来(のぐちとらい)】 |
享保8年(1723)~寛政4年(1792)12月24日 |
俳人・御役所御出入医師。午有の長男。初名は元安。通名を養安。号は片月窓・月窓・枇杷亭。医術と俳諧を父に学ぶ。宝暦3年(1753)父午有の編んだ井田至芳序、兎来跋「美津気之記」を上梓。 |
【野口弄花(のぐちろうか)】 |
宝暦9年(1759)~文政11年(1828)5月16日 |
俳人・御役所御出入医師。古川町の人。本姓は渡辺、野口元安の養子。名は玄珪。字は士錫。号は蕪城・論安。養安と称す。 「雲橋社」六世宗匠を継ぐ。 |
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加藤白翁(歩簫)が愛弟子のために建立 大隆寺墓地
【平田(ひらた)長等】 |
生年不祥~文化元年(1804)3月8日 |
俳人。名は友直。字を子温、今日庵。通名忠次郎。俳道の造詣深く佳吟多い。「雲橋社」元勲。 |
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花蔭会 月次句会百五十回記念に建立 大隆寺墓地
(碑文全文)
【花蔭会(かいんかい)】 |
明治22年(1889)前越旭州の提唱で創立。宗匠は永田吉右衛門五松庵不及。 |
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加藤歩簫の長男蘭亭李充が、雲橋社中と図って天保13年(1842)に建立。大隆寺墓地
【蘭亭李充(らんていりじゅう)】 |
安永7年(1778)12月2日~嘉永2年(1849)4月25日 |
俳人。雲橋社七世。歩簫の長男。幼名は太次郎。通称を正次郎・小三郎。名は清雄。号を蘭亭(戎)・柏翁。書道、国学、雅楽を好む。 |
【雲橋社(うんきょうしゃ)】 |
加藤歩簫は幼より学を好み、6歳より父の塾にて学を修め長じて、五升庵蝶夢の門に俳諧を、伴蒿蹊の門に国学及び文章を学んだ。明和8年(1771)鴎社を創立して俳諧及国学研究をなし、安永元年(1772)父隠居後は私塾を継承した。有名なる田中大秀・赤田臥牛の如きも、幼時薫陶を受けた。同2年(1773)鴎社を拡充して雲橋社を創立し、宗匠に推されて、其大一世に居り文芸による人格の浄化と家学の基本たる敬神尊皇の大義を鼓吹した。同4年(1775)雲橋社文庫を開設して衆庶の閲覧を計った。 |
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文化元年(1804)暮春に赤田臥牛識 明治24年(1891)建立。大隆寺境内
【館柳湾(たちりゅうわん)】 |
宝暦12年(1762)3月11日~弘化1年(1844)4月13日 |
漢詩人。越後の人。通称は雄次郎。号は石香斎。字を枢卿。寛政12年(1800)4月に飛騨郡代・小出大助の元締として着任。赤田臥牛らと交わる。著書「林園月令」など。 |
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